日本社会の根本的な弱点が、再び露呈している。感染症の流行時も、国際紛争が激化する時も、多くの人々が大手メディアの報道をそのまま鵜呑みにし、疑問を持つことすらしない。思考停止したまま「テレビが言ってるから」「新聞に書いてあるから」と信じ込む姿は、非常に情けない。一時期、右派の人々の間で「マスゴミ」という揶揄が流行ったが、今もその本質は変わっていない。
中東情勢、特にイランとイスラエルの対立を見ても、同じ構図が繰り返されている。テレビや新聞はイスラエル側の被害を大々的に強調し、一方的な「正義」の物語を垂れ流す。イランがミサイルを発射した背景や、イスラエル国家の成立過程、さらには地域全体の力学を深く掘り下げる報道はほとんどない。結果として、多くの日本人が「イスラエルが可哀想」「イランが悪い」と単純に思い込む。国家存亡をかけた戦いという視点や、日本自身の国益(エネルギー安全保障など)を考慮した分析は、完全に欠落している。
これは決して中東だけのことではない。感染症の流行時、テレビは連日「ワクチンを打て」「政府の対策を信じろ」と繰り返し、異論を封じ込めた。副反応や長期的な影響を指摘する声は「デマ」として排除され、盲従する人が大多数を占めた。結果はどうだったか。疑問を呈した人々は「反ワクチン」とレッテルを貼られ、社会的圧力に晒されたが、今振り返ればメディアの喧伝がどれほど一方的だったかは明らかだ。
ウクライナ情勢でも同じだ。ロシアの行動を「侵略」と一括りにし、複雑な歴史的背景やNATO拡大の問題、さらにはウクライナ国内の極右勢力や腐敗体質を無視した報道が氾濫した。日本人は「民主主義 vs 独裁」という単純な二元論を信じ、武器支援や制裁を当然視する。ロシア側の視点や、欧米の代理戦争的な側面に目を向ける人は少数派で、「親露」と中傷される始末だ。
こうした盲従の根底にあるのは、テレビ・新聞への過度な信頼である。戦後教育とマスメディアが作り上げた「権威主義的な情報摂取習慣」が、国民の批判的思考を奪っている。私の言うことが絶対に正しいとは言わない。むしろ、多角的な情報源から自分で判断すべきだ。しかし、余りにもテレビ・新聞への盲従が目に余る現状は、嘆かわしい限りだ。
日本が真の意味で独立した国家として生き残るためには、こうした「洗脳装置」から脱却しなければならない。ネットや代替メディアも完璧ではないが、少なくとも大手メディアの枠を超えた視点に触れる機会を増やすべきだ。情けない羊の群れではなく、自ら考え行動する国民であってほしい。
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