トランプ大統領が指摘した通り、この戦争で失われた命は膨大だ。平均で2万5千人、今や3万2千人規模の犠牲が出ており、大半が軍人の男性である。両国の指導者に一刻も早い終結を求めるのは、ごく当然の声だろう。さらに、ウクライナによるロシアの石油精製施設への攻撃が原油価格を押し上げ、世界経済に悪影響を及ぼす点も、強く非難されている。
特に印象的だったのは、トランプ大統領が紹介したウクライナ人女性の言葉だ。「ゼレンスキーが私たちの国を破壊し、乗っ取った」と語り、戦争によって男性たちが奪われ、手足を失い、精神的な傷を負って施設で暮らす人、命を落とした人がいる現実を訴えたという。前線では兵士が命を落とし、故郷では家族が帰りを待ち続けている。政治指導者たちの「戦争を続ける」発言が世界に発信される一方で、現場の犠牲は積み重なるばかりだ。
ゼレンスキー氏は選挙実施のために2か月の停戦が必要だと主張したとされるが、戦争を続ける政治的責任をどう考えているのか。ロシアの侵攻責任とは別に、ウクライナ政府の戦争遂行方針や停戦への姿勢を検証することは、民主主義社会では必要なことである。ゼレンスキーを支持することと、ウクライナ国民の命を守ることは、必ずしも同じではない。この区別に気づかない人が多いのは、不思議でならない。
西側諸国の一部は、戦争を長期化させることで自らの影響力や利益を維持しようとしているように見える。そして日本もまた、そうした流れに無批判に寄り添い、支援を続ける姿勢を取っている。自国民の命を最優先に考え、外交と停戦交渉に本気で取り組むべきなのに、外国の軍事支援や「正義」の物語を優先し続ける限り、犠牲は減らない。
戦争を続けたがる勢力と、それを支える側の論理は、結局のところ「兵士の命」より「物語」を優先している。ウクライナ人女性が語った悲痛な現実を直視し、戦争終結に向けた具体的な行動を求めることこそが、今求められている。