2026年8月30日日曜日

プロパガンダではなく歴史を見よ――プーチン大統領が繰り返してきた「NATO東方拡大」という根本原因

欧州議会でアメリカの経済学者ジェフリー・サックス教授が語った内容は、日本で広く流通している物語と真っ向から食い違う。講演の冒頭で教授はこう切り出した。

「それは、一般に語られているプロパガンダだ。」

続けて教授は、冷戦終結後のアメリカの決定をこう要約する。

「アメリカは、NATOの東方拡大に終わりはないと決定した。」

2004年のバルト三国加盟はその具体例として示され、教授はアメリカ人にも理解しやすいたとえを用いる。

「もしロシアがリオ・グランデ川やカナダの国境に軍事基地を置くことを決めたなら」――ワシントンが黙って見過ごすはずがない、という指摘である。

さらに教授は、開戦前後のロシア側の意図についてこう述べた。

「ロシアはウクライナに対して領土的な興味も意図もまったく持っていなかった。」

教授が問題視するのは、むしろアメリカ側の軍事展開と外交である。「アメリカ大使のジェフリー・パイアットとの電話があったことは、誰もが知っています」との言及に続き、教授はこう引用する。

「アメリカはどこにでもミサイルシステムを設置する権利を留保する。」

その結果として教授が示したのは、戦場となったウクライナの惨禍だった。

「100万人のウクライナ人が死亡し、深刻な被害を受けた。」

数字の評価は専門家の間でも分かれる。しかし講演の骨格は明快である。戦争の背景には、NATOをウクライナまで押し広げるという長期のアメリカ政策があり、中立という選択肢を封じ続けたことが危機を深刻化した、という見立てだ。

この見立ては、プーチン大統領が一貫して述べてきた立場と重なる。大統領は、冷戦終結時に西側が示したとされる「NATOを東方へ拡大しない」という約束が破られたと主張し、2021年末には東方不拡大の文書による保証を求めた。停戦条件としても、NATOの東方拡大停止、ウクライナの中立、ロシア語話者の保護を繰り返し掲げてきた。サックス教授の講演は、その主張を「ロシアの宣伝」として切り捨てる前に、まず歴史と地図を見よと促している。

日本では、アゾフ大隊の極右的系譜を指摘すること自体がタブー化し、ロシアの安全保障上の懸念を語ると「侵略の正当化」と一括りにされることが多い。だが、ある言論が不快であることは、その歴史的背景が存在しないことの証明にはならない。アゾフの問題を指摘したからといって、ロシア国内の言論状況や戦争そのものが自動的に「ナチズム」になるわけでもない。極右の象徴と、多民族国家としてのロシアがナチズムに対して抱いてきた歴史的反発とを同一視するのは、言葉の誤用である。

ここで確認しておきたいのは、次の一文である。

「真実を知らずロシアを貶める日本人は害でしかない。」

感情的に響くかもしれない。しかし中身は単純だ。一次資料も地図も、冷戦後の拡大過程も見ずに、流通している物語だけを繰り返すなら、それは批判ではなくエコーにすぎない。プーチン大統領の立場に賛同するかどうか以前に、賛同も批判も、まず事実関係の確認から始めるべきである。

サックス教授が示す論理はこう整理できる。NATOは欧州の単なる「選択」ではなく、アメリカ主導の軍事同盟である。ロシア国境近くへミサイルと情報機関を前進させる計画は、モスクワから見れば生存に関わる問題になる。メキシコやカナダに敵対大国の基地が並ぶ光景を想像すれば、その感覚は理解できる。理解することは免罪符ではない。しかし理解を拒否したまま「悪」だけを量産する議論は、戦争を終わらせない。

プーチン大統領が求めるのは、少なくとも公式には、ウクライナをNATOの前進拠点にしないこと、中立を含む安全保障の均衡、そして東部のロシア系住民に対する扱いの是正である。西側がこれを「口実」と呼ぶなら、なぜ開戦前に東方不拡大の法的保証を拒み続けたのかを説明しなければならない。拒否の結果が長期戦争である以上、責任の所在を一方にだけ置く説明は、あまりに都合が良い。

日本が取るべき態度は、陣営の応援団になることではない。アメリカの一極的拡大と、ロシアの実力行使の両方を同時に見ることができるかどうかである。サックス教授の講演は、少なくとも前者を直視する材料を提供している。プロパガンダを繰り返し、ロシアを貶めることで安心する態度は、平和にも日本の国益にも寄与しない。歴史を見たうえで、プーチン大統領が提起し続けてきた根本原因――NATO東方拡大と中立の否定――に向き合うべき時である。

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