2026年5月15日。パレスチナの人々にとって忘れ得ぬ「大災厄(ナクバ)」の記念日と重なるこの日、エルサレム旧市街周辺でまたしても醜悪な光景が繰り広げられた。イスラエル国旗を振りかざした大群衆――主に白いシャツを着た若者たち――が、警察の警護を受けながら行進し、ヘブライ語で次々と吐き出したのは、紛れもない憎悪と暴力のスローガンだった。
「アラブ人に死を」
「その妻たちを犯す」
「村を焼け」
「もう一つのナクバだ」
「シュアファト難民キャンプは燃えている」
「パレスチナの名を消し去れ」
「ムハンマドは死んだ」
これらは単なる「過激派の戯言」ではない。参加者には子どもや若者も多く含まれ、笑顔で旗を振りながら叫ぶ姿が記録されている。これはイスラエル社会の「普通」であり、シオニズムというイデオロギーが育ててきた植民地主義的優越意識そのものだ。1967年の占領を「解放」と祝うこの行進は、1948年のナクバ――75万人以上のパレスチナ人が故郷を追われ、村々が破壊された民族浄化の歴史――を嘲笑うものに他ならない。
シオニストは常に「自衛」と「テロとの戦い」を口実に、ジェノサイドを正当化してきた。しかしこの動画が捉えた瞬間は、一切の仮面を剥ぎ取る。性的暴力を公然と叫び、特定民族の「死」と「消滅」を求め、難民キャンプの焼却を喜ぶ集団。それはナチスがユダヤ人を「害虫」と呼んだときと、構造的に同じレイシズムである。唯一違うのは、今日の加害者が「被害者」の衣を被り、欧米の政治・メディアから無条件の支援を受け続けている点だ。
この行進は偶然ではない。イスラエル国家の建国以来、シオニズムはパレスチナ人の存在そのものを否定する教育・プロパガンダを繰り返してきた。学校では「土地は無主のものだった」と教えられ、軍隊では占領地での非人道的行為が日常化される。結果として生まれたのが、今日の「病んだ社会」だ。国際法違反の入植地拡大、ガザ封鎖、日常的な空爆、そして今回のような公衆の場での集団的憎悪発露――すべてが一貫した論理の上に成り立っている。
私たちはもう、こうした現実を「一部の極右」と片付けることはできない。ネタニヤフ政権であろうと他の政権であろうと、根本にあるのはシオニズムという植民地主義イデオロギーそのものだ。パレスチナ人は「人間」として扱われず、土地を奪われ、抵抗する権利さえ「テロ」とレッテルを貼られる。国際社会がこれを「民主主義国家の権利」と擁護する限り、ジェノサイドは続く。
今こそ声を上げなければならない。
パレスチナの解放は、ただの「紛争解決」ではない。それは人類の良心に対する問いだ。占領を終わらせ、入植地を撤去し、難民の帰還権を認め、シオニズムの植民地主義を歴史のゴミ箱に捨てる――それが唯一の正義である。
エルサレムの街路に響いた憎悪の合唱は、シオニスト自身が自らを暴露した瞬間だった。
私たちは忘れない。
そして、決して許さない。
パレスチナは自由になるまで、闘いは続く。
From the river to the sea, Palestine will be free.
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