カナダ緑の党党首エリザベス・メイは、「カナダが前に出て『新世界秩序はどうあるべきか』という議論に参加すべきであり、その土台は国連憲章だ」と発言しました。彼女はさらに、その「新世界秩序」は人権尊重や他の民主主義国との協調に基づくものであり、貿易のために人権を投げ捨てるべきではないとも述べています。一見耳障りの良い言葉ですが、問題は「新世界秩序の土台が国連憲章」という一点に凝縮されています。
この発言は、国民国家よりも国連を上位に置く世界体制を当然視する発想が、いよいよ「隠す必要もない」と言わんばかりに公然化してきたことを示しています。
🌐国連憲章を「世界憲法」に仕立てる企て
国際法学の一部では、国連憲章を「世界憲法」のように位置づける議論が以前から存在し、その優越性を強調してきました。憲章第103条は、国連憲章上の義務が他の条約上の義務に優先すると定め、事実上、国連規範を各国の合意より上に置く仕組みを組み込んでいます。さらに、国連憲章には、国家間の紛争解決や武力行使に関する広範な原則が詰め込まれ、「あらゆる基本原則は憲章に含まれる」と評価する法学者もいます。
こうした議論が意味するのは、選挙を通じて主権者から権力を委ねられている各国政府ではなく、選挙によらない官僚的ネットワークが支配する国連システムが、実質的な最終決定権を握る構造への移行です。これこそが「新世界秩序」の核心であり、主権国家を空洞化させながら、上からの「世界統治」を進めるプロジェクトだと言わざるを得ません。
👥人権と言葉を利用した主権侵食
エリザベス・メイは、「新世界秩序」は人権尊重や民主主義国の協調に基づくと強調しますが、国際秩序の現実はその理想とはほど遠いものです。国連の中心的役割を担う大国自身が、主権侵害や二重基準を繰り返してきたことは、専門家からも繰り返し指摘されてきました。例えば、国連の安全保障理事会常任理事国の一部は、他国の武力侵攻を見逃したり、自ら軍事介入を行ったりしながら、自分たちには甘い「ルール」を適用してきました。
その一方で、主権と自決を掲げてきたはずの国連体制そのものが、グローバル・サウス諸国を意思決定から排除し、旧来の大国に有利なガバナンス構造を維持しているとの批判も強まっています。[7] この現実を見れば、「人権」や「ルールに基づく秩序」という美辞麗句が、実際には、特定の価値観や政策を世界中に押し付ける口実として悪用されてきたことは否定できません。
✊反国連・反新世界秩序の視点:なぜ拒否すべきなのか
反国連・反新世界秩序の立場から見れば、エリザベス・メイのような発言は、国家主権と国民の自己決定権を無視した危険な中央集権志向の表明に他なりません。国連は、現実には選挙で選ばれていない官僚や外交エリート、巨大NGO、グローバル企業が絡み合うネットワークによって動かされており、一般市民がその意思決定を直接コントロールすることはできません。
「国連憲章を土台にした新世界秩序」とは、そうした非民主的なグローバル官僚機構に、各国の法律や政策を従属させる世界のことです。その中で「人権」や「気候変動」「公共の安全」といった言葉は、各国の表現の自由、経済活動、家族観や価値観を上から規制し、異論を封じるための道具となりかねません。
私たちが守るべきなのは、国際機関ではなく、目の前の共同体、家族、地域社会、そして国民としての自己決定権です。国連とそれを軸にした「新世界秩序」は、その主権と自由を徐々に奪い取る構造を内包している以上、「そんな秩序はいらない」とはっきり拒否する権利と責任が、私たち一人ひとりにあります。
📝結び:これ以上、彼らに世界の行き先を決めさせない
エリザベス・メイの発言は、「新世界秩序」という言葉を国連と結びつける政治家の本音が、もはや隠されていないことを物語っています。しかし、世界の行き先を決めるのは、国連官僚でも、グローバル・エリートでもなく、本来は各国の主権者である市民です。
国連を土台にした新世界秩序という幻想に付き合う必要はありませんし、「人権」や「国際社会」という言葉を盾に主権や自由を手放す義務もありません。私たちは、「そんな秩序には加わらない」「国連ではなく自国の憲法と伝統を土台にする」という明確な態度を示すことでしか、グローバルな中央集権と国民国家の解体に歯止めをかけることはできないのです。
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