人口抑制論と安楽死
最近の動画で、とある政治家は「気候変動」を理由に安楽死を支持する発言をしました。これは、マルサス主義者(人口増加が資源を枯渇させ、貧困と飢餓を引き起こすという考え方)や、安楽死を支持する多くの人々が抱く論理と全く同じです。
動画では、政治家が以下のような点を指摘しています。
* 人口増加: 世界人口は25年間で25%増加し、61億人から82億人になりました。
* 人口抑制: もし中絶が合法化されず、避妊が広く普及していなかったら、人口はもっと増えていたでしょう。
* 同性愛: 同性愛が社会全体で増加したことも、出生数を減らす要因になっています。
* 教会: もし教会が意図した通りに進んでいたら、人口はもっと多くなっていたでしょう。
この政治家は、これらの人口抑制策によって、気候変動がもたらす困難に直面する人口が少なくて済んでいると主張しているのです。
倫理的に許されない論理
しかし、この論理には大きな問題があります。気候変動への懸念から、人々の命を奪うことを正当化するのは間違っています。この考え方は、特定のグループの命が他のグループの命よりも価値が低いと見なす、非常に危険な考え方につながります。
人間の命は、環境問題の解決のための手段ではありません。安楽死は、苦しんでいる人が尊厳をもって最期を迎えるための選択肢であるべきであり、気候変動対策の道具として利用されてはならないのです。
尊厳の否定
また、「気候変動」を理由に安楽死を推奨することは、人間の尊厳を否定することになります。人間は、環境問題の解決に貢献するために存在しているわけではありません。私たち一人ひとりの命には価値があり、それは外部の要因や社会的な目的に左右されるべきではありません。
安楽死という選択肢を、気候変動対策という大義名分の下で利用することは、人間性を失う行為です。私たちは、倫理と人道を最優先に考え、気候変動に立ち向かうべきです。
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